1. 鹿児島の社会人野球の歴史
昭和30年代には、最大で3つの社会人チームが存在していました。しかし、昭和62年に鹿鉄(国鉄鹿児島鉄道管理局野球部)がなくなって以来、鹿児島県には、社会人の硬式野球チームがありませんでした。その後平成18年に、鹿児島では約20年ぶりとなる「鹿児島ホワイトウェーブ」が発足。更に、平成19年には「薩摩」が発足し、現在に至っています。
2.鹿児島社会人野球の都市対抗での歴史
鹿児島からの本戦出場は、昭和5年の第4回大会に「鹿児島鉄道管理局」が出たのが初めてとなっています。このときは、初戦で「全神戸」に、延長戦の末8-9で敗れています。その後、昭和30年に25年ぶり2度目の出場を果たすも、またもや初戦敗退。初勝利は、昭和41年5度目の出場で「日本鉱業日立」に8-5でとなりました。それから、昭和54年まで6回の出場(全て「鹿児島鉄道管理局))で2勝6敗の全戦績となっています。プロ野球選手も輩出してきた、名門鹿鉄野球部でも2勝。いかに都市対抗で勝つことが難しいかが分かる数字です。
鹿児島からは、昭和54年を最後に平成28年まで、37年間「都市対抗」への出場がありません。